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zoom RSS 五節句の成立ち!

<<   作成日時 : 2013/02/11 21:02   >>

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五節句とは、江戸時代に公式的に法制化された式日である五つの日のことを言います。

  名前          日付    別の名前   主に食べるもの
1、人日の節句(じんじつ, 正月七日, 七草の節句)→七草がゆ
2、上巳の節句(じょうし, 三月三日, 桃の節句) →上巳の節句 →ひし餅、白酒
3、端午の節句(たんご,  五月五日, 菖蒲の節句)→柏餅。ちまきなど
4、七夕の節句(しちせき*1,七月七日, 笹の節句) →素麺(そうめん)
5、重陽の節句(ちょうよう,九月九日, 菊の節句) →菊酒、栗ご飯など

上巳は別名・女子の節句,端午は別名・男子の節句とも呼ばれています。現在で特にメジャーなのは、上巳,端午,七夕であり、人日に関しても七草粥の風習が残っています。一方、重陽に関してはどちらかというと公的な面が強く、あまり一般には定着していません。

七草粥を食べる「人日の節句」は1年の「無病息災」を願うもので、「病気もせず、健康であること」を意味します。春の七草とはセリ、スズシロ、オギョウ、ホトケノザ、スズナ、ナズナ、ハコベラです。この中のスズシロは別名をダイコンと言います。今でも場所によっては大なべで七草を煮込んで新年のあいさつを交わし、温かい「かゆ」をすするのです。そして「七草がゆ」で胃を休め、今年も健康な1年でありますようにと食べるのです。

桃の節句とは、平安時代頃から、3月の初めに海や山へ出て一日を過ごし身の穢れを(けがれ)洗い流す農村儀礼がありました。田植えの始まりにあたるこの時、田の神を迎える為に、紙で作った人形で体を撫でて穢れを落とした後、海や川に流していたようです。また、桃が邪気を祓(はら)い長寿を保つと言う中国思想の影響を受けて、桃の花の入った桃酒を飲むようになったようです。江戸時代に入ると、紙の雛人形を流す行事は川が汚れるという理由から流すことが難しくなってきました。

その頃から、現在の雛壇を飾る「雛祭り」へと移行したのではないかと言われています。そんなわけで、「上巳」は3月3日であり、桃が咲く時期と重なることから「桃の節句」とも言われ、桃などの自然の生命力をもらうなどして厄災(やくさい)を祓います。 また最近では、女の子の誕生と成長を祝う「雛祭り」として一般に浸透しています。

「端午の節句」は5月5日にあたり、「菖蒲〔しょうぶ〕の節句」とも言われます。強い香気で厄を祓う菖蒲やよもぎを軒(のき)につるし、また菖蒲湯に入ることで無病息災を願いました。また、「菖蒲」を「尚武〔しょうぶ〕」という言葉にかけて、勇ましい飾りをして男の子の誕生と成長を祝う「尚武の節句」でもあります。江戸以降は男子の節句とされ、身を守る「鎧」や「兜」を飾り、「こいのぼり」を立てて男子の成長や立身出世を願ってお祝いをします。また、初節句(男の子が生まれて初めての節句)にはちまきを、2年目からは新しい芽がでるまで古い葉を落とさない事から「家督が途絶えない」縁起物として「柏餅」を食べます。地方によっては、子供の行事としてだけでなく、田の神を迎えるための禊(みそぎ)の名残として菖蒲湯に入る習慣も残っているようです。 登竜という激流(登竜門)を鯉が登ったという中国の伝説を受け、鯉には出世と健やかな成長を願う親の気持ちが託されています。

七夕の節句とは、七夕〔たなばた〕とは「7月7日の夕方」を意味しています。七夕行事は、中国に古くから伝わる牽牛・織女星の伝説から発達した乞巧奠〔きこうでん〕の行事に、日本古来の棚機津女〔たなばたなつめ〕の信仰が混ざり合って形成されたものでした。7月7日は、織姫と彦星が逢瀬を重ねるのを星を見守る日として知られています。この日、芸技が上達するように、出会いがありますようにという願いを詩歌にした短冊を竿竹にくくりつけると祈りが届くとされています。

また、この時期はお盆(旧7月15日)を迎えるための準備(七夕盆)としての意味をもち、畑作の収穫祭を祝う祭りが人々の間で行われていました。この時、健康を祈り素麺の元となったお菓子「索餅〔さくべい〕」が食べられていました。索餅は熱病を流行らせた霊鬼神が子供時代好きな料理で祟(たた)りを沈めるとされていました。やがて、索餅は舌触りのよい素麺へと変化し、七夕に素麺を食べるようになったそうです。

日本では古来より、「棚機つ女」(たなはたつめ=巫女)といわれる女性が、機〔はた〕で織った布を神におさめ、病気や災厄が起こらないように願ったという話がありました。7月7日〔しちせき〕を「たなばた」と呼ぶのは、この「棚機つ女」がもとになっています。そして、中国の文化に強く影響を受けた平安貴族たちは、竹竿に糸をかけて願いを星に祈るとかなえられるという乞巧奠(きっこうでん=技工・芸能上達を願う祭。)の習わしに従い梶の葉に歌を書き付けて手向ける「星祭り」を行うようになりました。その後、乞巧奠が大衆の間にも広まり、やがて棚機つ女と結びつき現在のように7月7日の七夕となっていったようです。江戸時代に入ると、短冊に詩歌を書き、笹竹に軒先に立てる風習が寺子屋の普及とともに浸透していきました。明治になり、各地の商店街などで大規模な七夕祭りが開かれるようになり、さらに一般の人々の風習として広まっていったようです。

重陽の節句とは今は廃れてしまっていますが、「重陽」とは9月9日にあたり、菊に長寿を祈る日です。陽(奇数)が重なる日そして、奇数の中でも一番大きな数字という意味で重陽といわれています。日本では奈良時代から宮中や寺院で菊を観賞する宴が行われています。古代中国では菊は「翁草〔おきなくさ〕」「千代見草〔ちよみくさ〕」「齢草〔よわいくさ〕」と言われ、邪気を祓い長生きする効能があると信じられていました。その中国の影響を受けて日本では、8日の夜に菊に綿をかぶせ、9日に露で湿ったその綿で体を拭いて長寿を祈っていました。また、菊に関する歌合わせや菊を鑑賞する宴が催されていたそうです。現在は寺社などで行事を行う程度で一般にこれといった行事はあまり行われていないようです。

平安時代以前は、農山村や庶民の間で秋の田畑の収穫が行われる時期に「栗の節句」とも呼ばれて栗ご飯などで節句を祝いました。(その後も農民の間では収穫祭の意味合いが強く受け継がれていきました)平安時代に入って中国思想の影響を受けると、菊の花を浸した「菊酒」を飲み交わし、茱萸(しゅゆ=ぐみの実のこと)を掛けて悪気を祓う菊花の宴が催されるようになりました。また、菊に関する歌合せや、「菊合わせ」という現代で言う菊のコンクールが盛んに行われるようになりました。現在でも、9日に行われるとは限りませんが、菊のコンクールや鑑賞を行う風俗は残っています。

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