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zoom RSS 豊臣家の豊国神社にある芝は、秀吉が亡くなった時の芝の末裔!

<<   作成日時 : 2012/07/04 22:46   >>

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京都に豊国神社というのがありますが、これは豊臣秀吉の廟所です。 慶長3年(1598年)8月18日、秀吉が63歳のとき伏見城で亡くなり、遺体は、遺命により、阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)中腹に葬られ、墳上には祠廟、山麓には社殿が建立されました。翌年4月18日、中腹を切り開き約30万坪の広さの太閤坦(たいこうだいら)を造成、豊国廟・豊国社が造営され、遷宮式が行われました。

以後、毎年盛大な祭礼(豊国祭)が取り行われたのですが、元和元年(1615)豊臣氏が滅亡すると、幕府によって徹底的に廟・豊国社ともに破壊されたのです。その後は、墳墓に弔する人もなく、長い間、風雨にさらされていたのです。そして約260年後の明治30年(1897)、秀吉の300年忌に際し、明治天皇の命により方広寺大仏殿跡地に「豊国神社」として再建され、現在に至っています。

豊国神社本殿南側(右手)には、秀吉公を内助の功で支えてきた妻・北政所、いわゆる“ねね”を祀る摂社・貞照神社がありますが拝殿はできないそうです。更に南側にあるのが宝物館で、旧豊国社関連の神宝や秀吉着用の胴服(重文)その他の秀吉関連遺品が展示されています。

さらに宝物殿奥(東側)に大きな五輪塔がひっそりと建っていますが、阿弥陀ヶ峰の豊国廟にあったものと伝えられています。豊臣家滅亡後、幕府により取り壊されたのですが、秀吉公を慕う人たちによってこの地に移築されたのです。その際、幕府に再び破壊されることを恐れ、近隣の地名である馬町(馬の市があったため)にちなみ“馬塚”と称して祀ったとされています。

前置きが大変長くなりましたが、今回、この豊国廟の周辺に日本芝が自生しているのですが、DNAの鑑定の結果、他の場所では確認例のない固有種であることが分かったそうです。しかし豊臣家が滅ぼされてから約260年もの間手入れもされていなかったので、歴史のいたずらが余計な交雑を防いだことになり、奇跡的に種の独自性を保ったのではないかと言います。つまりこの日本芝は豊臣家の芝の末裔とも言えるものになるとも言えるのです。豊臣家は滅んだものの、秀吉が亡くなった時の日本芝はその後も他の種と交雑をせず、まるで豊臣家の芝の末裔のように、今も亡くなったときの日本芝の末裔が生え続けているのです。

何か不思議な感じがすると同時に歴史の面白さのようなものを感じさせてくれる出来事ですね。

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